4号機時代の思い出 『幼馴染からノリ打ち仲間へ』 その6前編 ~007SPとファインプレー~
- 2021/03/20
- 09:36
リンク:前回のお話
前回のお話から時を遡ること数か月
高校生になった僕はパチンコ屋さんに行くことが多くなっていきました。

・・・当時のパチンコ屋さんは、今のように規則に厳しくなかったので
僕がパチンコ屋さんに行く際には
『学生服の上着を脱いだ状態』
という、ラフを通り越した
世の中を舐めた格好で行っていたのですが
1990年代という時代柄でしょうか?
そんな服装でパチンコ屋に行っても、なんらお咎めなしだったので
当時の僕は、一度家に帰って着替える時間さえも惜しんで
パチスロを打つ事を楽しんでいたのです。
・・・しかし、パチスロを楽しむと言っても
当時の僕は目押しが出来ないどころか
”フラグ”
という概念もまだ知らなかったんですよ。
そんな人間がパチスロで勝てる訳もありませんので
パチスロを覚えたての時は慢性的に金欠だったんですよね。
・・・そんな訳で、お金が無い時は友人がパチスロを打っているのを眺めて
ホールの雰囲気を味わったり
併設されたゲームセンターで時間を潰したりして過ごしていたのでした。
・・・当時の僕が小金を得た時には
少ない金額で遊べてお金が増える可能性が有る
羽根物を打つ事が多かったんですよ。
そして、首尾よく羽根物でお金を増やせた時に
ようやくパチスロを打つ事が出来たという訳です。
その時によく打っていたパチンコは
『ファインプレー』
という羽根物でした。

©マルホン ファインプレー
・・・当時のパチンコ屋さんの羽根物コーナーは、千円札を入れるサンドが無くて
100円玉や500円玉の硬貨をサンドに入れて
パチンコ玉を借りるシステムのお店が多かったですよね。

※昔の玉貸し機
・・・当時、僕が通っていたホールは
パチンコが低換金率だったこともあるのですが(3円交換)
特に羽根物コーナーは甘く使われていまして
冗談抜きに、普通に打てば羽根物で負けることは無いくらいに
甘い調整だったんですよ。
・・・まあ、羽根物で出玉を得ても
パチスロですべて失うんで意味が無かったんですけどね。
・・・そんな感じで、ファインプレーで数千円勝った僕は
意気揚々とパチスロコーナーに向かいます。
その時に好んで打っていたパチスロは
高砂電器の”007SP”でした。

©高砂 007SP
・・・007SPは完全告知機でして
リーチ目が分からない、素人の僕でも安心して打てる仕様の台だったのですが
バックライトが夕焼け色に変わる告知や
BIG中のBGMがカッコいいという魅力もありましたので
パチスロを覚えたての僕は夢中になって打っていたのです。
※後に裏モノと気付きます
・・・パチスロを覚えたての時は本当に面白かったですね。
なにしろ、起こる事全てが新鮮ですから。
今考えると、当時の僕は
007SPの魅力をほんの一部しか味わえていなかったと思うのですが
それだけでもかなり刺激的な経験でしたね。
・・・そんな流れの毎日を一緒に過ごしていたのは
僕と同様に高校生活をリタイアした
過去記事にも登場する幼馴染のN君でした。
続く
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