1999~2000年のパチスロを振り返ってみる
- 2021/07/27
- 07:45
・・・いやあ、人間の記憶とは本当に当てにならないものですね。
僕はご存じの通り(?)パチスロマニアですので
旧台の画像を見ているだけでも癒されるどころか
過去に設置された台の名称を見ているだけでも気持ちよくなっちゃうんですよ。
・・・そんな訳で、オリンピックが開催され
世間様は一定の盛り上がりを見せている中
僕はサッカー以外は興味がありませんので
今日も一人でパチスロの歴史を振り返っていたんですよ。
そして、今回は
個人的にパチスロが一番パチスロらしい時代であったと考える
”1999年~2000年のパチスロシーン”
をターゲットにしたんですよ。
・・・1999年くらいまでのパチスロは
付加機能が付いていない
ノーマルAタイプのパチスロが多かったのですが
それくらいの時期からは
・多ライン機
・大量獲得機
・フラグ持越し機能
といった機能が付加されたパチスロが開発されはじめましたので
ユーザーに受け入れられる台を開発するために
パチスロメーカーはそれぞれ開発力を競い合っていたのでした。
・・・そんな感じで、パチスロは文字通り
”新時代”
を迎えることになっていくのですが
その中でトップを走っていたメーカーは
新基準機の登場までは
”3番手以降のメーカー”
という位置付けだったサミーなのではないでしょうか?
・・・サミーはノーマルタイプの開発では
山佐やユニバーサルの後塵を拝していた企業だったのですが
CT機の開発で”ウルトラマン倶楽部3”を世に送り出し
一躍脚光を浴び始めました。

©サミー ウルトラマン俱楽部3 ※1998年設置開始
【BIG確率】
設定1 1/256
設定2 1/244
設定3 1/234
設定4 1/224
設定5 1/210
設定6 1/143
【CT突入率】
全設定共通1/2
・・・上記のスペックを見るとお分かり頂けると思うのですが
ウルトラマン俱楽部3の設定6は
完全なるエクストラ設定になっていまして
パチスロユーザーに1万枚の出玉を意識させた
はじめての機種であると言っても良いでしょう。
・・・そして、その後もサミーは
パチスロに新しい仕組みが取り入れられるたびに
何かと話題になる作品を世に送り出し続けるのでした。
・・・初の液晶搭載機として
”ゲゲゲの鬼太郎”
を開発してみたり・・・

©サミー ゲゲゲの鬼太郎鬼太郎 ※2000年設置開始
・・・AT機の解釈を捻じ曲げて
1Gあたりの純増枚数を限界まで高めた
”スーパーAT”
を考案し
獣王を世に送り出しもしました。

©サミー 獣王 ※2001年設置開始
・・・そして、サミーが射幸性の高いパチスロ機を世に送り出してしまったので
業界全体が出玉性能を競い合い始めるようになり
最終的には規制を受けてしまうことになりました。
・・・まあ、メーカー側は打ち手に需要があるゲーム性の台を開発しますので
打ち手が過激なゲーム性を求めた結果とも言えるんですけどね。
なにしろ、サミーがパチスロ界の核兵器とも言える
AT機を世に送り出してしまった事は
後のパチスロ業界の事を考えると
本当に罪な事ですよね・・・
・・・まあ、サミーが開発しなくても
他のメーカーがヤンチャをしていたとも考えられますので
遅かれ早かれ同じような結末になっていたとも考えられますが。
・・・と、そんな訳で
本日の僕は、パチスロ業界の付加機能の変遷を調べていたのですが
その過程で
冒頭でも紹介しましたように
僕の記憶違いがどんどん発覚していく事になったのでした。
・・・僕の記憶では
➡CT機
➡多ライン機
➡大量獲得機
➡フラグ持越し機能
➡AT機
という変遷を経て
パチスロ業界が発展していったと思っていたのですが・・・
・・・どうやら違ったようですねw
初めて”フラグ持越し機能”を搭載した台は
大都技研から発売された”バンバン”なのですが

©大都技研 バンバン ※1999年11月設置開始
・・・僕はバンバンがホールに設置され始めたのが
大花火が設置されたよりも
もう少し後の事と記憶していたのですが・・・

©アルゼ 大花火 ※1999年12月設置開始
・・・どうやら、公式記録では
大花火の設置された時期よりも
バンバンの設置開始の方が早かったようですね。
きっと、当時の僕は大花火に夢中になりすぎて
バンバンの面白さに気付くのが遅かったのでしょう・・・
・・・まあ、バンバンが設置された時期よりも
ビーマックスなどの”A-500タイプ”のマシーンが設置された時期の方が早いので

©アルゼ ビーマックス ※1998年設置開始
僕のおおよその記憶は間違っていないとも言えますけど
そうか、大花火の方がバンバンの後か。
こういう発見も楽しいですよねと
負け惜しみを言っておきましょう・・・
・・・そして、その他にも僕の記憶違いはありまして
僕が4号機の最後に打っていた台は
スペックA

©オーイズミ スペックA ※20003年 設置開始
009SP

©高砂 009SP ※2006年設置開始
・・・この2台を狂ったように打っていたんですよね。
・・・ん?
俺の空?秘宝伝?
僕は付加機能付きの台が正義とは思っていないので
わざわざ無理をしてつまらないストック機は打たないっす!
・・・トゥームレイダー?
そいつの事は忘れましょう・・・
・・・話を戻します。
僕は4号機末期に009とスペックAをよく打っていたのですが
もう1台、設置は少なかったのですが
その台を見かけ次第
リーチ目の法則に疎いながらも
嗜む程度に打っていた台があったんですよ。
・・・そして、その台はバークレストから発売された
プレリュード2
という台だったんですが・・・

©バークレスト プレリュード ※1999年設置開始
・・・僕は4号機末期にプレとスペックAを楽しんでいまして
てっきり両機種が同じ時期に発売された
同じマニアック台というカテゴリーの機種と勘違いをしていたのですが
・・・どうやら、史実によると
プレリュードは1999年に既に設置が開始されていたようですね。
そして、プレリュードと同時期に発売された台は
・ワードオブライツ
・仮面ライダー
・イプシロン
こんな感じです・・・
・・・う~ん、もっと早くプレリュードに気付いていれば
彼の楽しい所もたくさん発見できていたと思うのですが
どうやら、プレリュードは当時の雑誌でも
発売時に取り上げられることは少なく
設置を開始してからしばらく経って、じわじわと人気が出た台だったようなので
僕がプレを発見できなかったのも
仕方なかった側面もあるんですけどね。
・・・そもそも、プレリュードの設置を発見したのが
晩年になってからでしたからね。
・・・田舎って辛いですね。
・・・今回はこんな感じです。
当時の台はマジでファミコンのカセットと一緒で
どんな台でも打ち方や捉え方次第によっては
ある程度、楽しむ事が出来た台が多かったですよね。
そして、当時は面白い台が多かったので
一人では打つ時間が足りませんでしたから
友人と連れ打ちをしたり
面白い機種の情報を持ち寄ったりして
情報交換をする事も楽しかったのでした。
・・・現在のホールでも
たまにバラエティーコーナーでお金をばら撒くと
思わぬ発見が有るかもしれませんよ。
そして、面白い台を自分の手で発見した時は
物凄く気持ち良いので(語彙)
大変オススメの遊び方となっております・・・
・・・お試しください!
それでは!
- 関連記事
スポンサーサイト


人気ブログランキングへ
